番外編 ~タニシの生い立ち~

中学3年の冬、就職先から採用通知が届いたその日、入院中だった父と、

ずっと付き添っていた母に報告に行った。

父は胃潰瘍だと言われ手術を受けたが、その後、昼食後に倒れてからは

入退院を繰り返していた。

『店をもつ気でやれよ』という父に、『うん』と言ったのが、父との最後の会話になった。

翌月には昏睡状態になり、1か月もしないうちに亡くなったのだ。

他人の家

兄弟の中でも一番の父親っ子だった私は、小学校へ上がるまでは父の膝の上を独占していた。

5歳の時、妹がお腹の中にいた母のつわりがひどかった。

バス通園だった幼稚園の近くに住む、父の妹の家へ2か月ほど預けられた。

伯母の家には小6・小3・4歳の仲の良い姉妹がいて、たくさん遊んでくれた。

しかし、朝5時に起きて家族でジョギングしたり、おもちゃは小さな部品ひとつ残らず片づけたり(こっちが普通なのか?)

とにかく環境が違いすぎて、戸惑っていた。


初日のお風呂上りに牛乳を飲んでいたら、伯母に

『他人の家の冷蔵庫を勝手に開けちゃダメじゃないの!!』

と叱責され、泣いた。

『さっき、自分の家だと思ってねって言ってたのに・・・』 

子供ながらに考えていることは、大人には伝わらないものらしい。

伯母は躾として言ってくれたのだろうが、5歳児にはショックでしかなかった。

それでも家に帰れる訳ではなく、大人しく良い子にしていよう、と決意する。

伯母は精神的に不安定だったのか、謎の宗教の集まりに、よく末っ子とともに連れていかれた。

それが原因なのか、母はこの伯母を毛嫌いしていて、この後も交流があったのは、父と私だけ。

家を新築した伯母一家がそこへ越してからは、私も遊びに行くことはなくなった。

無事、妹が生まれて・・・

不思議なことに、ここから半年くらいの記憶がない。

家に帰れる、とか、妹との初対面など、イベントはたくさんあったハズなのに、記憶に残っていない。謎だ。

この後、妹をオモチャにしている兄と姉の姿はよく覚えているが。

我が家は、縦社会な上に、悪ふざけが過ぎる。それでも年下は黙って我慢するしかなかった。

のちに母の葬儀後のお酒の席で、

『みんな世間は冷たいって言うけど、ウチより全然優しいよ!だって世間の人は私の事ブサイクって言わないもん!!』

と、衝撃の発言をした妹。

お互いに子を持つ親になって、少しは発言権を得たのか。

私はそれでも、何も言えずにいたけれど・・・。


妹が生まれて2年後、弟が生まれた。

その頃には、父が家に帰ってこない日が増え、いない事が普通になっていた。

ある日の夜中、一人で寝ていた私は、誰かの気配で目を覚ます。

父が私の布団に入り込んでいて、私が目を覚ましたのに気づくと、

『お母さん、赤ちゃん生まれたんだって。一緒に見に行く?』

と、言った。 何て他人事・・・

どこにいても父は父

家に帰ってこなくなった父の、住んでいる家を探した。

当時7歳。ヒントは黒電話の横にある、母が書いた住所録。

色んな飲み屋の名前があったが、一軒だけ聞いた事のない店で、住所が隣の駅だ。

直感的に、ここだと思った。

次の日曜日、友達を誘い、探検の旅にでた。

住所を見ながらウロウロすること約3時間。

やっと同じ名前の看板を見つけた。

店の前で、濡れた髪を乾かそうとクルクル回っているおばさんがいた。

『楽しそうだ。この人に聞いてみよう。』

父の名を告げると、その人は中に向かって『マスターちょっと来て!』と叫んだ。

父が驚いて立っていた。

それからは母に内緒でよく遊びに行っていた。

父は、昼間は小さな会社を経営、夜は知らない女性と居酒屋を営んでいたが、

その女性に甘えることができた私は、学校帰りに一駅分歩いたり、日曜日にはバスで遊びに行っていた。

今考えれば、愛する男性の子供を邪険にできる訳はない。。。向こうも困っていたと思う。

姉の自転車を勝手に借りて行った時には、父から連絡が行き、ずいぶん母と姉に怒られた。

7つ上の姉はもうすでに女として、父が許せなかったんだろう。ずっと母の味方だった。

ことある毎に、怒鳴られられ、嫌味を言われ、物が飛んで来た。

家の中は敵ばかりだった。

父はそれを知ってか知らずか、夏休みに、私と妹を連れてキャンプや旅行に出かけ、

毎年、正月には、おもちゃ屋で好きな物を買ってくれる『あしながおじさん』のような存在だった。

それも母には面白くないようで、

『たまに顔出して優しくしてれば良いんだから、得だよね~』

と後で言っていた。確かに子供を騙すのは簡単だ。


そんな父と私の関係も、小学校を卒業する頃から私の反抗期で終わりを迎える。

(あ!姉も反抗期だったのかもしれない。。。)

父びいきの私には、実家に居場所がなく、家出をしたり、夜遅くまで溜まり場で騒いで補導されたり・・・

いつもは母が迎えに来て、無言で歩いて帰るのが定番だったが、

ある日、初めて迎えに来た父に車の中でボコボコにされたとき、『終わった~』と感じた。

『自分は好き勝手してるのに??』 と思った私は素直に謝る気にもならない。

体の痛みよりも、心が壊れていくのを感じていた。

父と末っ子

その事件をきっかけに引っ越しの話しが進み、中学を転校することに。

父は、新居で『これを機に、家に帰ろうと思う・・・』と言っていた。

内心、『何を今さら。でも、これで少しは私の居場所ができるかも』と期待していたが、

実現する前に、父は病魔に襲われてしまった。


8歳下の弟が、生まれて初めて父とお風呂に入ったとき、その背中脇には約30cmの手術痕があった。

弟に『すごいだろ~』と自慢していたのを見て『アホか』と思ったのだが、

その日は嬉しそうにしている弟の為に、黙って自分の部屋に戻った。

別居はしていたものの、月に一度は生活費を持参していた父に、

弟は『また来てね~』と手を振るのが習慣だった。

慣れない父親との、唯一のスキンシップ。

まさか、その半年後に父の葬儀をする事になるとは・・・

この日、弟たちと昼食を食べた父が急に苦しみだし、床を転げまわって痛みに耐えていた。

『救急車を呼ぶな!兄貴を呼んでくれ!』

病院の近くに住む叔父を呼ぶように、母に指示していた姿が目に焼き付いている。。。

その後、父は入退院を繰り返していたようだ。

採用通知が届いたのは、その4か月後の出来事だった。

お経の罪深さ

お通夜で読経してもらっている時に気付いたのだが、お経には『亡くなった原因』を盛り込む?ようで、

その時初めて父が『胃がん』だったのだと知った。

どうやら知らされていなかったのは、私と、幼い妹・弟だけで、

父に告知をしていなかった事もあり、秘密にしていたようだ。

『もし知っていたら、もっとお見舞いに行ったのに。謝ることもできたのに。』

・・・ここでも疎外感を味わった時、もう誰とも話しができなくなってしまっていた。

思ったことが、言葉として出てこない。クラスメイトも、腫れ物に触るようになり、孤立した。

あいかわらず、家では誰とも口をきかず、ただ毎日息をしているだった。

『もうすぐ、こんな毎日から脱出できる。もう少しの我慢だ。』

と自分に言い聞かせながら、中学卒業の日を迎える。

天国かと思っていた就職が地獄だった件

4月3日・・・いよいよ入寮の日。

姉と、当時姉が付き合っていた彼の車で、荷物を運んでもらった。

父が亡くなってからの姉は優しく、私と友達をデイズニーランドに連れていってくれたりもした。

おそらく、彼氏が良い人だったんだろう。結婚するものと思っていたが、別れてしまったようだ。

大きなお世話だが、とても残念だ。


寮に着き、荷物を部屋に運ぶのも手伝ってくれた。


4人部屋の室長として、26歳の先輩に姉が挨拶をしてくれた。

さすが社会人と感心していたが。。。

姉を見送るとき、『あの人、信じらんないくらい、化粧濃いね。』と先輩をディスっていた。

『そぉ?』と返すと、『そんなことも分からないの??バカじゃないの??』

・・・そんな人だった事を、改めて思い出した。