【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員⑤】~経験値が言葉になる~

シリーズ・100人に仕事を教えた派遣社員・最終回~経験値が言葉になる~

第5章

経験値が言葉になる

あの頃は、ただ必死だった
今から14年も前の出来事を、まるで昨日のことのように思い出しながら書いてきました。
42歳の時、私は派遣社員として大阪で研修を受け、その後、岡山で100人以上の新人に仕事を教えることになりました。
当時は、本当に毎日が必死でした。
人を見て、その人に 向いている場所を考えて、 現場が少しでも回るように動く。
ただそれだけを考えていた気がします。
自分では、それが特別な経験だとは思っていませんでした。

それから14年が過ぎ、気がつけば、あと数年で定年を迎える年齢になっていました。
その時、ふと思ったのです。
このまま、終わって良いのだろうか。
この経験は、誰かの役に立つのではないだろうか。
そう考えたことが、このシリーズを書き始めた出発点でした。

今も私は現役で働いています。
毎日が勉強で、まだまだ学習の途中です。
でも、残り少ない現場経験を言葉にすることで、どなたかのお役に立てるかもしれない。
そんな思いで、ブログを書き始めました。

パソコンのキーボードのイメージ画像

品質管理になって見えてきたこと


今の職場では、品質管理という立場で働いています。
以前のように一作業者として目の前の仕事をこなすだけではなく、
会社全体を見る機会が増えました。
すると、現場で起きている問題の多くに、見覚えがあったのです。
品質不良の原因を追っていくと、

教え方の問題
作業手順の問題
コミュニケーション不足
現場の空気
役割分担


など、過去に自分が経験してきたことばかりでした。
その時に気づいたことがあります。
成長途中なのは、人だけじゃなかった。

私はずっと、
「自分がもっと出来るようにならなきゃ」
と思って働いてきました。
でも品質管理という立場になって見えてきたのは、
成長途中なのは、作業者だけじゃない。
会社の仕組みそのものも、まだ発展途中なんだということでした。
現場で起きる問題は、 誰か一人が悪い訳ではない。

教える側
教わる側
管理する側
会社の仕組み


その全部が、少しずつ学習しながら進んでいる。
そう考えるようになってから、以前よりも現場を広く見られるようになった気がします。

経験が、少しずつ言葉になっていった


ブログを書き始めてから、自分でも驚きました。

「シリーズ・仕事の基本」
「シリーズ・仕事が早い人の1日」
「シリーズ・仕事が早くなるコツ」
「シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員」


記事を書けば書くほど、過去の経験が整理されていったのです。
あの時は感覚でやっていたことが、 今は少しずつ言葉になっていく。
そして気づきました。
あの頃は、ただ必死だった。
でも今振り返ると、あの時の経験のすべてが、今の私の言葉の土台になっていた。

机の上に広げられたノートで今だ勉強中のイメージ画像

42歳の挑戦は、今も続いている


私は今でも、毎日勉強中です。
でも、これまでの経験を言葉にすることで、

新しくリーダーになった人
現場を任された人
人を育てることに悩んでいる人

そんな誰かの気持ちを、少しでも軽くできたら嬉しいと思っています。
42歳の時、私は現場で人を育てていました。
そして今は、ブログで、言葉で、人を育てようとしているのかもしれません。


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【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員④】 ~現場を回すのは空気だった ~

第3章では、仕上げ工程から、老夫婦の跡継ぎへと異動し、仕組み化を進めました。

1年が経ち、工程がやっと安定しホッとしたのも束の間、今度は下のフロアが人手不足なので応援に来て欲しい…との事。

下のフロアでは、1人ずつ各自で仕上げる工程が待ち受けていました。

第4章

怖い人たち

下のフロアに異動した時、私はどこか懐かしい空気を感じました。

そこは、私が最初に研修を受けた大阪工場によく似ていました。

決して、穏やかで居心地の良い場所というわけではありません。

むしろ、張りつめたような緊張感がありました。

中心にいたのは、二人のベテラン女性社員。

いわゆる「御局様」と呼ばれてもおかしくないほど存在感があり、男性社員ですら

「下フロアの○○さんには逆らえない」

と恐れていたほどです。

そのうちの一人が苦手で、上のフロアへ異動した人もいたと聞きました。

私自身も、最初は正直怖かったです(笑)

でも、しばらく働くうちに気づきました。

この現場には、ただ厳しいだけではない、独特の空気が流れていたのです。

誰もが自分の仕事に責任を持ち、手を抜かない。

困っている人がいれば自然に助け合う。

けれど、仕事に対する妥協は許さない。

「できない」で終わらせず、

「どうすればできるか」を考えることが当たり前になっていました。

私はその空気の中で働くことが、とても心地よく感じました。

どこか、大阪工場で感じたものと同じだったからです。

大阪でも、決して楽な職場ではありませんでした。

厳しい環境の中で、みんなが責任感を持ち、一生懸命に働いていました。

その真剣さが、現場全体を支えていたのです。

綺麗に整列する大勢の作業者のイメージ画像

私たちに足りなかったもの

思えば、上のフロアでは、私たち5人も必死でした。

新人に仕事を教え、適材適所を考え、トラブルが起きれば対応し、現場を守ろうと全力で走っていました。

男性社員の間では、

「下フロアの○○さん、上フロアのタニシさん」

と並べて語られていたほどです。

それだけ、私も厳しく、責任感を持って現場に向き合っていたのでしょう。

それでも、上のフロアでは同じ空気を作ることができませんでした。

技術は教えられる。

仕組みも作れる。

人の適性を見ることもできる。

でも、それだけでは現場は回らない。

全員が同じ基準を共有し、

責任を持ち、

仕事に誇りを持つ。

そんな目には見えない空気があって、初めて現場は動き出すのだと知りました。

そして、その空気を作るには、個人の頑張りだけでは足りません。

責任を引き受ける覚悟。

それを支える立場。

長い時間をかけて築かれた信頼。

そうしたものが重なって、ようやく現場の文化になるのだと思います。

下のフロアで私は、ようやくその意味を理解しました。

現場を回していたのは、技術でも、仕組みでも、たった一人の頑張りでもなかった。

そこに流れる、目には見えない空気だった。

そして、あの頃の私たち五人には、まだその空気を作る力が足りなかったのだ。と実感しました。

高層ビルが立ち並ぶ地平線と青空のイメージ画像

まとめ


チームや、職場の空気として必要なのは、『心理的安全性』だと多くのひとが言います。

簡単に説明すると、

・話しを聞いてもらえる
・責めずに受け止めてくれる
・『心配しなくて良い、一緒に乗り越えよう』と言ってくれる
・小さな変化にも気づいてもらえる

読めば単純で簡単なことのようにも感じますが、どれも、自分に余裕が無ければ、相手にしてあげられない事だと、私は思います。

ラインやチームを立ち上げ、うまく回るように常態化するには、常にプレッシャーを伴い、余裕を持つことは難しいです。

けれど、この4項目を知り、覚え、たまに思い出すくらいなら出来るのではないでしょうか。

どんな人も『完璧』にはできない。
また、『完璧を目指す』のは、悪いことではありませんが、時には目をつぶり、信頼し、任せることが重要なのかもしれません。


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【次回予告】

【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員】

第5章『経験値が言葉になる』

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【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員③】~人は見抜かれた時に育つ~

大阪での研修中は、毎日仕事を覚えることで精一杯でした。
そんな中、週末に夫が車で遊びに来てくれたことは、とても良い気分転換になりました。
ホテルの前のコインパーキングに車を停め、二人で梅田まで出かけたのも、今では懐かしい思い出です。🤗
夫が帰る時間になって、駐車場に時間貸しの上限がなかったことに気づき、
料金を見て二人でヒヤヒヤしたのも、今となっては笑い話です。🥶💦
そんな小さなサプライズもありながら、私たちは何とか2週間の研修を終え、
いよいよ岡山で新しい現場を立ち上げることになりました。

第3章

20人の新人たち

私たち5人が大阪で研修を受けている間、
岡山では新しい作業者の採用が進んでいました。
集まったのは、およそ20人。

工程は4つに分かれており、さらに正社員の方が立ち上げるラインもあったため、
それぞれの部署に3人前後ずつ配置することになりました。

大阪で研修を受けた5人が、それぞれの工程のリーダー役となり、
新しいメンバーを指導していきます。

しかし、誰をどこに配置するのか、簡単には決められませんでした。
経験も性格もさまざまで、見た目だけでは向き不向きは分かりません。

そこで私たちは、2時間ごとにジョブローテーションを行ってもらい、
一人ひとりの様子を見ながら適性を判断することにしました。

そして翌朝、5人で集まり、それぞれの配置について話し合いました。

バスケットに入っている、たくさんの子猫たちのイメージ画像

私が選んだ一人

まず、30代の2人が、やる気があり仕事もできそうな6人を選びました。

『やっぱり、そう来たか』

私は心の中でそう、つぶやきました😊

けれど、私が気になっていた人は、まだ誰にも選ばれていなかったのです。
その女性は、自信なさそうで、とても大人しい人でした。
どこか「私なんて……」と言っているような雰囲気をまとっていました。

だからこそ、私は彼女に可能性を感じていたのです。

仕上げ工程は、出荷前の最終チェックを担う重要なポジションです。
スピードも必要ですが、それ以上に求められるのは慎重さでした。

少し気が弱いくらいの人の方が、確認を怠らず、丁寧に仕事をしてくれる。
私はそう考えていました。

さらに、彼女がシングルマザーであることも大きな理由でした。

家族を支える責任を背負っている人は、簡単には仕事を投げ出さない。
きっと責任感を持って、長く働いてくれるだろう。

そんな予感があったのです。

私が太鼓判を押す

彼女は私が教えることに対して、
素直に、何度も聞き返しながら仕事を覚えてくれました。

スピードは後からでも付いてくる。
そう思った私は、自信を持てない彼女に、

『私が太鼓判を押すんだから、自信持って良いょ』

と励ましながら仕事を進めていました。

ですが、彼女以外の2人が中々落ち着かず、
1週間来ては辞め、中には半日で辞めてしまう人も。

46個位だと思います❤️

派遣会社から次々に送られてくる人材は、
色々な人がいて、中には強者も(笑)

私『この箱を数えてください』

新人さん『46個位だと思います😊』

って…思うじゃ困るんだけど、と思いつつ、

私『しっかり数えてくださいね💦』

新人さん『48個でした😊』

気になった私が、もう一度数え直すと、49個でした…(笑)

もちろん、そんな人ばかりではありませんでしたが、
そんな感じの日々が続き、
気づけば納期に終われて、毎日4時間残業が当たり前でした。

窓を見ているオレンジ色の孤独なぶち猫のイメージ画像

期待しすぎた結果

1年が過ぎた頃、私とずっと一緒に仕上げをやっていた人が、
前工程に引っ張られ、
新しい人たちと作業をする中で、私はホトホト疲れていました。

教えても教えても、優秀な人は他の工程に取られ、
やっと40代のしっかりした人が来てくれた時、

『この人なら、任せても良いかも』

という気持ちに初めてなりました。
しかし、きっと期待しすぎて、
口調が厳しくなっていたのだと思います。

ある日突然、何も言わずに帰ってしまったのです。
同じ派遣会社だったこともあり、担当からも連絡してもらいましたが、応答無し。
心配していたのですが2日後、彼女は出社してくれました。

そして工程ごとの朝礼で、

『あなたのやり方はハラスメントです』

と突然言い出しました。
話し始めたら、もう止まりません💦

きっと2日間考えていたのでしょう。

『どうしても納得いかないので、会社を訴えます』

とまで、言わせてしまいました。

それから工場長と3人で、3時間程話し、
『結局、派遣にリーダー役を任せきりにしている会社が悪かった』
という事で、納得してくれました。

その後、男性正社員を正式なリーダーとして置き、
仕事を続けていましたが、ある工程に欠員が出るので、
そこへ移って欲しいと工場長から打診がありました。

壁に落書きされた般若のような悪魔のイメージ画像

工場長からの新たな試練

大阪時代からずっと夫婦そろって仕事をされ、定年も過ぎ、
それでも岡山に来てくれていた老夫婦が、
いよいよ大阪に帰る、というのです。

その部署では、約100通り、寸法違いまで含めると、
1000通りの機種、部品を作っていました。
それを、手順書作りから私に任せる、というのです。
老夫婦が帰ってしまうまでの3ヶ月で、習得して、誰もが作れるように手順書を作る。

…この工場長はきっと悪魔に違いない、と思いました(笑)

その工程では、生産管理からの納期予定が毎週更新されます。
同時進行で進めなければならない物もあり、
この機種には何工程あって、
時間がこの位かかるから、
この日までに材料を揃えて始めなければ…、
という事まで把握していなければならない。

老夫婦がいてくれるうちに、作業だけでは無く、段取りも教わらなくてはならない。

それでも、私を信頼して、任せてくれる工場長の期待に応えなければと、
何とか3ヶ月後には、仕組み化する事が出来ました。

13年後の答え合わせ

その頃ちょうど、私が元いた仕上げ工程が、
上手く回っていない、という話しを
チームリーダーから聞きました。

新リーダーになり、やり方を変えてしまった為に起きた結果なのですが、
メンバーは私の顔を見るたびに、

『出来な~い💦』と困り顔。

『どうしたらできるかを、まず考えて』

とアドバイスをすることしか出来ずにいました。

結局、私が最初に教えた人を仕上げに戻し、メンバーも一新することで、
上手く回るようになったようです。

やはり、私の目に狂いはなかった。

それから彼女は、13年経った今でも、
正社員としてこの会社で頑張っているのです。


【次回予告】

【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員】

~第4章~

『現場を回すのは空気だった 』

です。お楽しみに🎵

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【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員②】~適材適所の旅立ち~

100人に仕事を教える派遣社員。女性5人の『適材適所の旅立ち』をイメージする画像

私が大阪で研修を受ける会社は、インクリボンカセットのリサイクルを担う仕事でした。
銀行のATMに入っている部品です。
お客様は全国の銀行。
それだけでも、身の引き締まる思いでした。

第2章

旅立つ前の予習

大阪へ研修に行ける人が決まり、当初予定していた20名には程遠い、5名でのスタートとなりました。

メンバーは、
・子どものいない50代の女性
・独身の30代女性
・その高校時代の同級生で、シングルマザーの30代女性
・私が前の職場で口説き落とした19歳の女性
そして、当時42歳の私

という、年齢も家庭環境もさまざまな5人でした。

大阪へ向かう前の1週間、私たちはまだ改装中の岡山の工場で予習を行います。

そこでチームリーダーは、一人ひとりの性格や適性を見ながら、役割を決めていきました。

《50代の女性》
返却された製品のケースを清掃する仕事。リサイクルのスタート地点となる工程でした。

《独身の30代女性と19歳の女性》
新しい中身を準備する工程。重労働で、ミスが許されない重要な仕事でした。

《シングルマザーの30代女性》
インクの付いた布をつなぎ、端切れを残さずカットする繊細な作業。目の良さと器用さが求められる難しい工程で、彼女にぴったりでした。

《私》
完成した製品にガイドを取り付け、梱包する「仕上げ」と呼ばれる工程。出荷前の最終チェックを担う仕事でした。

こうして、それぞれに持ち場が決まりました。

今振り返ると、この時すでに私は、

「人には、それぞれ向いている仕事がある」

ということを、目の前で学んでいたのだと思います。

大阪・道頓堀のイメージ画像

いざ大阪へ

高速バスと電車を乗り継ぎ、たどりついたビジネスホテル。
1人1部屋という贅沢に浮足立った私たち(笑)

晩御飯を兼ねての居酒屋で、チームリーダーと色んな話しをする中、
『岡山に移住できる人は限られていて、他のほとんどの人が失職する』
という事を聞いた時、私も派遣切りを経験した一人として、複雑な気持ちになりました。

翌朝、ホテルから歩いて20分の大阪工場へ。

確かに建物が古く、老朽化が進んでいました。
天井も低く、窓も少ないため薄暗い中、大勢の先輩が所狭しと働いています。

聞けば、派遣会社の請負だとのこと。
全員が責任感を持って、一生懸命作業されていました。

私たちは、割り当てられた各工程にお世話になりながら、仕事を教えてもらいました。

夜の街に光る黄色い回る警告ランプのイメージ画像

緊急ミーティング

初日ということもあり、私たちは定時で上がらせて頂き、
ホテルへの帰り道で感想を報告しあいました。

その中で、どうしても気になる事があり、部屋に戻ってすぐ、派遣会社の担当に電話をかけました。

『うちの派遣社員ではないけれど、50代の人が一人いて、その人が教えてくれている人の事を《おばちゃん》と呼んだこと。それが気になるので、急だけど、これからミーティングを開きたい』と、伝えました。

所属する会社が違うので、余計なお世話かもしれないけど、この5人でやっていく以上、今話しておかないと、この先が心配だと正直に伝えました。

担当者はすぐに、その派遣会社に連絡をしてくれて、
『相手方からも、よろしくお願いします、と許可を頂きました。』
との折り返しがあり、夜8時からロビーでの緊急ミーティングとなりました。

まずは急な呼び出しを謝罪し、初日の感想や、今後の見通しを一人ずつ聞くことにしました。

『大変な仕事で先が思いやられる』
『でも、今日はこんな事ができた』

色々な意見が聞けて良かった。と思ったのもつかの間。

50代の女性が、またもや《おばちゃん》発言をしたのです!!

本人も悪気は無かったとは思いますが、
今しかない、と私は覚悟を決め、静かに話し始めました。

『まずは、相手の名前を覚えて、名前で呼ぶこと』
『仕事の先輩として、相手を尊重すること』
『自分は仕事を失うという状況の中、私たちに仕事を教えてくれること』
『責任感をもって学び、感謝を忘れないようにしよう』

…という話しをしました。


その後、全員が納得してくれて、

『そうだね!頑張ろう!』

と言ってくれた事が嬉しかった。

この場を設けて良かった。

【同じ目的に向かって進む、一つのチームになったのだ】

と感じた初日の出来事でした。


〘次回予告〙

【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員】
~第3章~

『人は見抜かれた時に育つ 』

です。 お楽しみに🎵

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【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員①】~42歳の挑戦~

100人に仕事を教えた派遣社員。42歳の挑戦、のイメージ画像

当時の私は、42歳。
派遣社員として働いていた私が、
気付けば100人以上に仕事を教えることになりました。

役職もなければ、特別な資格があったわけでもありません。

きっかけは、派遣会社の担当者からの一本の電話でした。

第1章

神奈川から岡山へ

私は、神奈川県で生まれ育ち、
32歳の時に、ダンナ様の出身地である
岡山に移り住んできました。

それまでは、デパートで洋菓子販売、
ブライダルフェアで引き出物を紹介する仕事など、
わりと華やかな仕事をしていましたが、
岡山に転居してからは、製造業に転身することとなりました。

とりあえず、すぐに働ける派遣社員として製造業に従事し、
『ものづくり』の楽しさに、夢中で働いていました。

赤いバラの花束を持つ花嫁のイメージ画像

特攻隊長と呼ばれて

気付けばその派遣会社では、すでに8年が経ち、
延べ15社ほどの現場で働いていたのです。

派遣会社の担当者とも長い付き合いで、
家庭の事情をよく理解してくれていました。

その一方で、新規開拓したばかりの大変な現場には、
なぜかよく私が送り込まれていました(笑)

冗談半分で、
『うちの特攻隊長』と紹介されたこともあったぐらいです。

一本の電話

ある日、その担当者から一本の電話がありました。
『大阪に2週間の研修に行ける人を20人ほど探してるんだけど、
誰か行けそうな人知らない?あなたはお子さんがいるからダメだよ。
僕がダンナさんに怒られちゃう。』

という内容でした。

よくよく話しを聞いてみると、
大阪の工場が古くて、耐震条件に引っかかるから、
岡山の親会社の工場に移転する、ということでした。

『大阪? 2週間? ホテル暮らし? 良いなぁ、私が行きたいわ』

でも、我が家には夫と、小学4年生の息子がいます。
とても行ける状況ではありませんでした。

『一応、友達に聞いてみる』ということで、電話を切りました。

スマホを持ち、友達に電話をかけようとしているイメージ画像

早速友達に電話をかけまくるのですが、一人も集まらない。
他の仕事だったり、家庭の事情など、確かに厳しい条件でした。

そんな私の姿を見ていた夫に、状況を説明していると、

『行きたいんじゃない?行ってくれば?』

と言う、ダンナ様。

『ええっ? 良いの? 大丈夫??』

と、逆にうろたえる私…(笑)

そのあと、息子にもOKをもらい、
派遣会社の担当者に電話で報告することに…。

『ダンナが行ってくれば?って言ってくれてるので私が行きます!!』

今度は担当者がうろたえる番でした。

『ホントに? 大丈夫? 助かる…けど、本当に大丈夫??』

…という感じで、大阪行きが決まったのでした。


【次回予告】

【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員】
~第2章
~
『適材適所の旅立ち』

です。お楽しみに🎵

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