大阪での研修中は、毎日仕事を覚えることで精一杯でした。
そんな中、週末に夫が車で遊びに来てくれたことは、とても良い気分転換になりました。
ホテルの前のコインパーキングに車を停め、二人で梅田まで出かけたのも、今では懐かしい思い出です。🤗
夫が帰る時間になって、駐車場に時間貸しの上限がなかったことに気づき、
料金を見て二人でヒヤヒヤしたのも、今となっては笑い話です。🥶💦
そんな小さなサプライズもありながら、私たちは何とか2週間の研修を終え、
いよいよ岡山で新しい現場を立ち上げることになりました。
第3章
20人の新人たち
私たち5人が大阪で研修を受けている間、
岡山では新しい作業者の採用が進んでいました。
集まったのは、およそ20人。
工程は4つに分かれており、さらに正社員の方が立ち上げるラインもあったため、
それぞれの部署に3人前後ずつ配置することになりました。
大阪で研修を受けた5人が、それぞれの工程のリーダー役となり、
新しいメンバーを指導していきます。
しかし、誰をどこに配置するのか、簡単には決められませんでした。
経験も性格もさまざまで、見た目だけでは向き不向きは分かりません。
そこで私たちは、2時間ごとにジョブローテーションを行ってもらい、
一人ひとりの様子を見ながら適性を判断することにしました。
そして翌朝、5人で集まり、それぞれの配置について話し合いました。
私が選んだ一人
まず、30代の2人が、やる気があり仕事もできそうな6人を選びました。
『やっぱり、そう来たか』
私は心の中でそう、つぶやきました。😊
けれど、私が気になっていた人は、まだ誰にも選ばれていなかったのです。
その女性は、自信なさそうで、とても大人しい人でした。
どこか「私なんて……」と言っているような雰囲気をまとっていました。
だからこそ、私は彼女に可能性を感じていたのです。
仕上げ工程は、出荷前の最終チェックを担う重要なポジションです。
スピードも必要ですが、それ以上に求められるのは慎重さでした。
少し気が弱いくらいの人の方が、確認を怠らず、丁寧に仕事をしてくれる。
私はそう考えていました。
さらに、彼女がシングルマザーであることも大きな理由でした。
家族を支える責任を背負っている人は、簡単には仕事を投げ出さない。
きっと責任感を持って、長く働いてくれるだろう。
そんな予感があったのです。
私が太鼓判を押す
彼女は私が教えることに対して、
素直に、何度も聞き返しながら仕事を覚えてくれました。
スピードは後からでも付いてくる。
そう思った私は、自信を持てない彼女に、
『私が太鼓判を押すんだから、自信持って良いょ』
と励ましながら仕事を進めていました。
ですが、彼女以外の2人が中々落ち着かず、
1週間来ては辞め、中には半日で辞めてしまう人も。
46個位だと思います❤️
派遣会社から次々に送られてくる人材は、
色々な人がいて、中には強者も(笑)
私『この箱を数えてください』
新人さん『46個位だと思います😊』
って…思うじゃ困るんだけど、と思いつつ、
私『しっかり数えてくださいね💦』
新人さん『48個でした😊』
気になった私が、もう一度数え直すと、49個でした…(笑)
もちろん、そんな人ばかりではありませんでしたが、
そんな感じの日々が続き、
気づけば納期に終われて、毎日4時間残業が当たり前でした。
期待しすぎた結果
1年が過ぎた頃、私とずっと一緒に仕上げをやっていた人が、
前工程に引っ張られ、
新しい人たちと作業をする中で、私はホトホト疲れていました。
教えても教えても、優秀な人は他の工程に取られ、
やっと40代のしっかりした人が来てくれた時、
『この人なら、任せても良いかも』
という気持ちに初めてなりました。
しかし、きっと期待しすぎて、
口調が厳しくなっていたのだと思います。
ある日突然、何も言わずに帰ってしまったのです。
同じ派遣会社だったこともあり、担当からも連絡してもらいましたが、応答無し。
心配していたのですが2日後、彼女は出社してくれました。
そして工程ごとの朝礼で、
『あなたのやり方はハラスメントです』
と突然言い出しました。
話し始めたら、もう止まりません💦
きっと2日間考えていたのでしょう。
『どうしても納得いかないので、会社を訴えます』
とまで、言わせてしまいました。
それから工場長と3人で、3時間程話し、
『結局、派遣にリーダー役を任せきりにしている会社が悪かった』
という事で、納得してくれました。
その後、男性正社員を正式なリーダーとして置き、
仕事を続けていましたが、ある工程に欠員が出るので、
そこへ移って欲しいと工場長から打診がありました。
工場長からの新たな試練
大阪時代からずっと夫婦そろって仕事をされ、定年も過ぎ、
それでも岡山に来てくれていた老夫婦が、
いよいよ大阪に帰る、というのです。
その部署では、約100通り、寸法違いまで含めると、
1000通りの機種、部品を作っていました。
それを、手順書作りから私に任せる、というのです。
老夫婦が帰ってしまうまでの3ヶ月で、習得して、誰もが作れるように手順書を作る。
…この工場長はきっと悪魔に違いない、と思いました(笑)
その工程では、生産管理からの納期予定が毎週更新されます。
同時進行で進めなければならない物もあり、
この機種には何工程あって、
時間がこの位かかるから、
この日までに材料を揃えて始めなければ…、
という事まで把握していなければならない。
老夫婦がいてくれるうちに、作業だけでは無く、段取りも教わらなくてはならない。
それでも、私を信頼して、任せてくれる工場長の期待に応えなければと、
何とか3ヶ月後には、仕組み化する事が出来ました。
13年後の答え合わせ
その頃ちょうど、私が元いた仕上げ工程が、
上手く回っていない、という話しを
チームリーダーから聞きました。
新リーダーになり、やり方を変えてしまった為に起きた結果なのですが、
メンバーは私の顔を見るたびに、
『出来な~い💦』と困り顔。
『どうしたらできるかを、まず考えて』
とアドバイスをすることしか出来ずにいました。
結局、私が最初に教えた人を仕上げに戻し、メンバーも一新することで、
上手く回るようになったようです。
やはり、私の目に狂いはなかった。
それから彼女は、13年経った今でも、
正社員としてこの会社で頑張っているのです。
【次回予告】
【シリーズ・100人に仕事を教える派遣社員】
~第4章~
『現場を回すのは空気だった 』
です。お楽しみに🎵
最後まで読んで下さって、ありがとうございます💕

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