【お昼を食べない私が、25年元気な理由】

昼食を食べない習慣を25年続けて元気に過ごしている理由を紹介する記事のアイキャッチ画像

《お昼ごはんを食べない》と言うと、 たいていの人が心配してくれます。
「ちゃんと食べないと体に悪いよ」
「午後、もたないでしょ?」
そんなふうに言われることも多いです。
でも私は、もう25年くらい お昼を食べない生活をしています。
それでも体調は悪くないし、 むしろ、食べていた頃より楽になった気がしています。
だから私は、だいたいこう答えます。
「習慣なので」
今日は、そんな私の ちょっと変わった(?)お昼の習慣について、 正直に書いてみようと思います。


お昼を食べなくなったきっかけ(眠気対策)

もともとは、ちゃんとお昼ごはんを食べていました。

でも、製造業の仕事に変わってから、
どうしてもお昼ごはんの後に眠くなるようになったんです。

立ち仕事ならまだ良かったのですが、
座ってする作業の時間があると、もうウトウトしてしまう。

「これはまずいな」と思って、
試しにお昼を軽くしてみたり、時間をずらしてみたり、
いろいろやってみました。

そしてある日、思い切って
「いっそ食べないでみよう」とやってみたら――

あれ?
午後が楽かもしれない。

それが、お昼を食べない生活の始まりでした。

やってみたら、意外と体調が良かった

最初は正直、少し不安もありました。

「お腹がすいて力が出ないんじゃないか」
「体に悪いんじゃないか」

でも、実際にやってみると、
思っていたほど困ることはありませんでした。

むしろ、

・午後の眠気が減った
・仕事に集中しやすくなった
・体が軽く感じることが増えた

そんな変化がありました。

体調が悪くなるどころか、
私にとっては、むしろ調子が良くなった感覚でした。

気づけばそれが当たり前になって、
もう25年くらい続いています。

心配されるけど、私はこう考えている

《お昼を食べない》と言うと、
本当にたくさんの人が心配してくれます。

「ちゃんと食べないと体に悪いよ」
「午後までもたないでしょ?」

ありがたいことに、
みんな優しさで言ってくれているのが分かるので、
否定するつもりはありません。

でも私は、こう思っています。

「人には、それぞれ合うやり方がある」

私にとっては、
お昼を食べない方が楽だった。
それだけの話です。

だから今でも、
だいたいこう答えています。

「習慣なので」

コーヒーと手帳、腕時計を机に置いた日常の習慣をイメージした写真

大事なのは「人に合わせる」より「自分に合うか」

健康の話になると、
「これが正しい」「これが普通」
という情報がたくさんあります。

もちろん、それは大切なことです。

でも、同じ体はひとつもありません。

誰かにとって良いことが、
自分にも必ず合うとは限らない。

だから私は、
「人に合わせる」ことよりも、
「自分に合うかどうか」を大事にしています。

無理をしないこと。
続けられること。
体が楽だと感じること。

それが、私にとっての体調管理です。

そして、たまたまそれが
「お昼を食べない」という習慣だった、
というだけのことです。


※これはあくまで、私の体で試してみて続いている習慣です。
誰にでも合うとは限りません。

大事なのは、「正しいと言われていること」より、
「自分にとって続けられるかどうか」。

無理にマネはしなくて大丈夫です。
自分の体の声を、一番の基準にしてください。

【次回予告】

『製造工場の大原則「安全→品質→生産」
の順番を守らないと起きること』です。

  お楽しみに🎵     See You (^-^)

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【私がPMJ倶楽部を作ったワケ③・全3話】タニシの人生シリーズ~若いママの孤立をなくしたくて始めた家族ぐるみの子育て~

【大切な子供や孫が生きていく世界は、今の私たちが創っている】
このことが、私の責任感を駆り立てる要因なのだと思う。
いつでも人は、昔は良かった…という。
子供や、孫たちにも、そう言わせてあげたいものです。

この先は、私が実際にした経験をもとに、感じたこと、思ったことを書いています。
読んでいて、辛くなってしまう方がいたら、ごめんなさいm(__)m
途中で離脱してくださいね。

第3話『私がいじめられた経験から得たもの』

【勝手に切り取るメディア】

兄が、恥ずかしいと言ったのも理解できる。
私の言う、ヤングママではなく、ヤンキーママの方が、圧倒的に話題になるからだ。

PMJ倶楽部のメンバーに金髪の子はいなかったし、たまたま若いうちに子供を授かっただけ。
メディアからの出演依頼にも、PMJ倶楽部の趣旨をきちんと伝えてくれるモノにしか出なかった。
それでも、『ヤンママ』は独り歩きを始めてしまった。

ただ、今みたいなネット社会ではなかった分、まだマシだったのかもしれない。
もし、あの時、プライバシーがネットに晒されていたら…と思うとゾッとする。

生放送のラジオに出演した時、局の手違いで私の家の電話番号が電波に流れた。
すぐに、電話回線を止めたが、翌日に復旧させても、問題なかったくらいだから(笑)

【いじめられた経験から得たもの】


わたしは、幼い頃から泣かされる側だった。今では想像できないくらい(笑)
記憶の最初は、2~3歳の頃、1つ年下の従妹だった。

母に『年上なんだから我慢しなさい』と言われ、
従妹にやられ放題で、よく泣かされていた。

幼稚園でも、揶揄しやすい苗字と名前のせいで、ずっと男の子に泣かされていた。
小学校に上がっても、夏休み明けの『日焼けコンテスト』で上位に入ると、あだ名が差別用語になった。

3年生の時、我慢の限界で、給食の途中で家に泣きながら帰った。
先生に連れてこられたいじめっ子は、その場では謝ったものの、
次の日からは、私の家が古かった事をネタに、いじめが続いた。

【人生の転機】

4年生の時、天の助けか、いじめっ子の住む地域と学区が分かれることになり、顔を合わせずに済むようになった。
そのクラス替えで、担任やクラスメイトに恵まれ、やっと、学校でのいじめからは解放された。
その担任から、大人から初めて本気で褒められた、という記憶がある。
きっと、初めてではないと思うが(笑)

その先生のおかげで、前向きになれたのが大きかった。
イジメられない為には、面白い子になれば良いんだ!という学習をする(笑)

中学に入ると、4学区が集まり、あのイジメっ子と再会した。
でも、もう怖くなかった。
離れていた3年の時間が、わたしを強くしてくれたのだと思った。

私をいじめていた彼は、なぜかイジメられる側になっていた。
でも私は、仕返しをするのではなく、他の子とおなじように接するように心掛けた。
同情していたのかもしれないが、自分が嫌だったことは、他人にしたくなかった。

中学で陸上部、野球部マネージャーを経験し、楽しかった…

のも、つかの間(笑)
3年で転校した学校で、史上最悪のイジメを経験することになる。

【次回予告】

【環境が人を変える】タニシの子育てシリーズ
~いじめられてる私が同情する、いじめっこ達~
『3年女子全員が敵になったのは誰のせい?』   です。

お楽しみに🎵

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See You (*^-^*)

【私がPMJ倶楽部を作ったワケ②・全3話】タニシの人生シリーズ~若いママの孤立をなくしたくて始めた家族ぐるみの子育て~

夕焼け空の下、仲間と一緒に過ごす子どもたちのシルエット写真

この記事は、私が若い頃に立ち上げた、育児サークル『PMJ倶楽部』の記録です。
あれから、時代は変わりました。でも、子供たちの未来を思う気持ちは、今も同じです。
誰かの、何かの、きっかけになってくれたら、嬉しいです。

この先は、私が実際にした経験をもとに、感じたこと、思ったことを書いています。
読んでいて、辛くなってしまう方がいたら、ごめんなさいm(__)m
途中で離脱してくださいね。

『第2話 理解されない子供と勘違いする大人

サークルの子供たちを見ていて感じたこと~自我の芽生え

子供たち(およそ1歳~)はオモチャの奪い合いを必ずする。
それは、本能として備わっているのだろうか?
動物の優位争いに似ていると感じた。

大して興味の無いオモチャでも、その子に力を見せつけるかのように奪う。
泣いたら負けだ。
そのやりとりで『力関係』が決まる。
群れをつくる動物が、ボスを決めるように。

その時に、大人は手出しをせず見守ることが大切だと感じた。
へたに叱ろうものなら、その子は親の見えない所で、隠れて弱い子をいじめるようになってしまう。
決着がついたら、そこで初めて、両者の親が弱者をいたわる様子をみせる。
(決着とは、片方が泣いたり、逃げた時)
そうすることで、親を取られたような気がするのか、泣き出す強者もいれば、一緒に弱者をいたわる強者もいる。

このやり取りを何度も見ているうちに、
私は「親の役目」が少しずつ分かってきた。

【親の役目】

バトルが始まった時に大事なのは、このルール。
・武器を持たせない事。
・必ず、大人が子供を見守っている事。
・そして、途中で親が止めに入らない事。
・決着がついたら、弱者をいたわる事。
・弱者をいたわる時に、強者を悪者にしない事。

これを徹底していると、自然と仲良く遊びだすから不思議だ。
強者は弱者をかばい、弱者は強者を敬い、後を追う。

言っておかなければならないが、この話しは安易な差別ではなく、
千差万別な人間同士、どうしても避けられない力の差がある。
それをどう上手く、仲よく生きていこうかと、世に出たばかりの人間が学んでいる現実だ。
世の中の仕組みを子供が体現しているのだと思う。

なるべくこの体験を、ちからが弱いうちに経験させないと、後でとんでもないことになる。
遊びを知らずに大人になった者が、いい年をして遊びに狂ってしまうのと同じだ。
第二次反抗期や、大人になってから親に手を挙げてみたり、暴力事件を起こしたり。
その頃にはもう、親は『ちから』では子供に敵わない。

だから小さく、力の弱いうちに、ちから加減を教える。また、他者をいたわる事を教える。

【叩かれたら痛い】

【髪を引っ張られると、こんなに痛い】

痛い思いを体感することで、学んでいく。

【勘違いする大人たち】

このことを勘違いしている大人がいる。
『子供が言っても聞かないから、痛い思いをさせて教えているのだ』 と。
躾と称して、大人が子供に手を挙げるのは、ただの『弱い者いじめ』でしかない。

自分が、【言葉や行動で上手に教育できない】ことを棚に上げて、正当化しているだけだ。
子供は大人の言葉を理解している。
行動を逐一見ている。
子は親の鏡である。

力が明らかに違う者同士では学習にならない。
恐怖を覚えて終わりだ。

【強迫観念の植え付け】

私が小さい頃、『10数えるうちにやれよ…1,2,3…』と、よく言われていた。
初めのうちは、10になったら何が起きるのかと、恐怖でしかなく、泣きながら従っていた。
だが、小学校高学年にもなれば、『大したことは起きない』と学習をする。
心の中で『はいはい、今日もこれね』と思っていた。(笑)

驚いたのが、長男に自我が芽生えたころ、夫が同じ事を言い出した。

『は?そんな𠮟り方止めてくれる?脅迫してるだけだから。
強迫観念植え付けてるだけだよ』と諭した覚えがある。

私を実家から救い出してくれた人なだけに、すぐに理解してくれて、
そのあと、二度と言わなかったのが救いだった。

【褒められたい子供】

私も例外なく、褒められたい子供だった。
しかし、現実は厳しい。

近所で一人暮らしをしていた兄が、酔っぱらってコタツで寝てしまい、足をやけどした話しを聞いた。
その2日後、夜中にトイレで起きた私は、母と姉がコタツで寝てしまっていたので、
『やけどしてはいけない』と思ってスイッチを切って、又寝た。
翌朝、起きたら『寒くて起きたわ、風引かせる気?』と、叱られた。

また、ある日はこんな事があった。
幼稚園の遠足の写真を『一緒に写ってるから』と、友達のお母さんがくれた。
母は、焼き増ししてくれたお礼にと、100円を遊びに行く私に持たせ、渡すように言った。
でも、友達のお母さんはどうしても受け取ってくれない。
困っているところに、いつも車で野菜や果物を売りに来るおじさんが来た。
『そうだ!さっきのお金で、みんなにみかんを買ってあげよう。そうすれば、友達も喜ぶし、お金も無駄にならなくて済む』
と考えた私は、渡すはずだった友達の家に行き、『このお金で、みんなにみかんを買っても良いか』と聞いてみた。
快くOKしてくれたので、みんなでみかんを食べた。
おじさんも、笑顔で100円では買えないほどの、みかんをくれた。

ここまでは楽しかった思い出なのだが、次の日、幼稚園の送迎バスを待っている間、その話題でもちきりになった。
『この子は神童かもしれない』『天才なのかも』と他の親に褒められ、浮かれていた。
しかし、幼稚園から帰ったとき、母に『人にあげたお金を勝手に使うとは何事か。恥ずかしい』と叱られた。

半世紀が過ぎた今も、はっきり私の中に残っている、ということは、かなりショックだったのだと思う。

【ヤンママ・ブーム到来】

ヤンママサークルがメディアに取り上げられ、『PMJ 倶楽部』代表として、私もテレビなどに出ていた頃、
酔っぱらっていた兄に『恥ずかしくて妹だなんて言えない』と言われたことがある。
酔っぱらっていたとしても、ショックだった。
いや、酔っぱらってる時の方が本音なんだろう、とさえ思った。

『人のためになろう』と、いくら努力しても、家族は理解してくれなかった。

その数年後、私は遠くの地に子供とともに引っ越した。

さらに数年後、母が亡くなり初めて帰省したとき、兄は、葬儀では見せなかった涙を流して謝ってくれた。
『あのときはゴメンな』と。
それだけが救いだったし、私も『今の夫と幸せに暮らしているから、もう大丈夫だよ』と返した。

しかし、実家を離れる時、私はひどく疲れていた。
それは、兄ではなく、姉が原因だった。

この1年後、姉とのメールのやりとりが原因で、私は兄弟と縁を切る決心をする。

その話は、次の記事で。

【次回予告】
第3話『私がいじめられた経験から得たもの』

に続きます。

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【私がPMJ倶楽部を作ったワケ①・全3話】タニシの人生シリーズ~若いママの孤立をなくしたくて始めた家族ぐるみの子育て~

この記事は、私が若い頃に立ち上げた、『PMJ 倶楽部』という育児サークルの記録です。
あれから、時代は変わりました。でも、子供たちの未来を思う気持ちは、今も同じです。
誰かの、何かの、きっかけになってくれたら、嬉しいです。


【PMJ倶楽部とは】

発足 : 1992年
名前 : PaPa、MaMa、Jr.の頭文字。
活動拠点 : 神奈川県横浜市を中心に関東地方全体
メンバー : 最大15家族(48名)

『公園などで他のママたちと馴染めず、孤立しがちな、若いママをサポートするため発足。』

特徴 : 16歳~23歳(私の一つ上まで…笑)のママを、育児雑誌で募集。
家族ぐるみの付き合いを重視していた為、パパも参加できる家族に限定。
『子供たちが兄弟のように育つように、親同士が仲良くすること』を目標に、賛同した家族が参加。

第1話 『私がPMJ倶楽部を作ったワケ』

【子育てとは?】

子供を産んでから、専業主婦だった私。
結婚して3年、2人目の子が生まれて幸せだった。
そして、とてもヒマだった(笑)

家事を終えて、子供たちがお昼寝の時間、物思いにふける時間があり余っていた。

『この子たちが幸せになるには、どうしたら良いんだろう?』

欲を言えばキリがないのは分っているし、お金は最低限あれば良い。
過去のジリ貧生活(別記事予定)で、学んだ。

住む家もあって、家庭も安定していて、大きくなったら普通に就職して、恋愛もして…
そう考えていたら、『どこがゴール?』と不思議な感じがした。

『そっか、最期が幸せだったら、それで良いのか。終わり良ければすべて良し。』

それからの私の最終目標は『最期に笑っていられる、人生を歩く』 になった。
しかし…『最期に笑っていられる』ためには、どうしたら良いんだろう?

この先は、私が実際にした経験をもとに、感じたこと、思ったことを書いています。
読んでいて、辛くなってしまう方がいたら、ごめんなさいm(__)m
途中で離脱してくださいね。

【子供の喧嘩】

ある日、団地の中庭から子供の騒ぐ声がした。
4~5人いたが、知らない顔だった。この辺りの子たちではないみたいだ。
部屋から様子をみていると、一人の子が馬乗りになられて、苦しがっていた。
他の子は周りで面白がっている。
『遊んでいるだけ?でも、もし手加減を知らない子だったら、何かあったときにはもう遅い。』
そう思った私は外に向かって『何してるの!!』と叫んだ。
見事に蜘蛛の子を散らすように、子供たちは消えて行った。

【手加減を知らない子供たち】

その頃、ちょうど話題になっていた事件がある。
駅前で騒いでいた若者に注意した、新聞記者の男性が返り討ちにあい、亡くなった。
その現場は私が当時の夫と出会った場所。
仲間もたくさんいて、居心地の良い場所だった。
民家が少ないとはいえ、周辺の住民の方には大変ご迷惑をかけていたと思うが、
行き場のない若者が見つけた天国だった。

初めの頃は、車好きが集まっているだけで、大人もいたし、みんな仲が良かった。
でも、その場所が有名になるにつれ、怪しい人物も増えていった。
危険を感じるようになった私たちは、そこに集うことをやめ、お互いの家で遊ぶようになっていた。
すっかり、静かになったのだと思っていたが、事件をテレビで見て知った。

このニュースを見たとき、私はふと思い出した。
昔と今の『子供たちの違い』だ。

【昭和生まれの子供たち】

私がその場所へ通っていた頃は、小競り合いもあったが、みんなが限度を知っていた。
『これ以上やってはいけない』という暗黙のルールがあったと思う。
それは、自分たちが小さい頃に痛い目を見ていたからだろう。

悪いことをすれば、げんこつが降ってくる。
近所に子供も、兄弟も多く、喧嘩した経験もある。
子供は外で遊び、ケガもする。
痛みを知っているから、叱る側も素手だった。
痛み分けである。
だから子供たちは納得できたのだと思う。

それが、自分は痛くないように、道具を使って怒る大人が増え始めた。
そんなズルい大人の言うことなど、子供は納得しないだろう。
納得しないどころか、『武器を使えば自分は痛くない』という学習をしてしまう。

悪いことに、子供が減り、兄弟喧嘩をしたことがない子供も増えた。
子供が減れば、その分、親の目も届きやすくなり、子供同士のケンカも減った。
痛みの想像ができなければ限度がわからない。

いざ、腹が立って相手と喧嘩になったとき、手を出さずに済む人間がどれだけいるだろうか。
そう考えた時、私にでも出来ると思ったのは、子供たちに兄弟のような存在を作ってあげることだった。

【次回予告】

第2話『理解されない子供と勘違いする大人

に続きます。

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【シリーズ・仕事の基本】~新人が最初に覚えるべき3つの習慣~

机の上に並ぶストップウオッチとペンとメガネの写真

今回は、新入社員が社会人として最初に身につけておきたい「3つの基本」を、実際の研修経験をもとに紹介していきますね。

【新入社員研修】タニシが新入社員研修で必ずやる事。

・5秒で、生年月日と名前をフルネームで書く。

みなさんは、自分の書いた字に自信がありますか?

最近では、ノートや手帳に字として書くよりも、PCやスマホに入力する方が多いかもしれませんね。

でも、字を書くことが全く無くなるわけではないし、仕事では、誰かに何かを伝える場面で、必ず必要になってきます。

ふだん、丁寧に書く習慣の人でも、急いで書く時の字はどうでしょうか?

初めての仕事で緊張してる上に、焦って何かを書かなければならない時。

時間が無いのに書く必要があるなら、それを後で自分を含める誰かが読むのでしょう。

その時に、書いてある事が伝わらなければ意味がありませんよね?

『伝えるために書く』

その事を実感してもらうために、あえて目的を告げず、急いで書いてもらいます。

『氏名と生年月日』

これにも意味があって、研修用の資料の冒頭に書いてもらいます。

全員同じ資料を配られるわけで、誰の物かわかるように。

それと、数字にも間違えないためのルールがあるので、それを覚えてもらうためです。

例えば、1と7。人によっては見分けがつかない書き方をされる事が多く、判断に困ったりします。

それから、4と9。しっかり角を書かないと、似た感じになりやすい数字です。

それと、もう一つ覚えて欲しいのが、逆さまでも読めてしまう数字には、下線を付けること。

この並びの数字を逆さまにしてみますね


フツーに読めますよね?でもかなりの誤差になります(笑)

だから下線が必要なんです。


全員が書き終わったところで、私はこう言います。

『では、その紙をお隣の人に渡して、読んでもらってください』

全員が『えっ?』と、ざわつきます。

『ちょっと待って、読めないかも…』なんて人も(笑)


・時計を見る習慣を付ける。~タスク管理と自己責任~

『すみません、遅くなりましたっ』

『どうかしましたか?大丈夫ですか?』と聞くと、

『まだ時間あると思って、トイレに行ってました。』

新人研修にはよくある光景です。

まぁそんな場面があってもなくても、私は、皆さんに腕時計をしているか聞いてみます。

就職祝いなのか、ピカピカの腕時計もよく目にします。

スマホで時間の確認をする人は、腕時計をしていない事が多いですね。

でも、仕事中にスマホの出し入れは時間のロスに繋がりますし、情報が外に出ないよう、持ち込み禁止の工場も数多くあります。

腕時計をしているほうが、自分の時間配分をこまめにチェックできるので、おススメです。

会社で鳴るチャイムだけでは、タスク管理はできません。

私は特に、デジタルよりも、パッと見てわかりやすいのでアナログ派です。

初めての作業では必ず、かかった時間を把握するようにします。

慣れてきたら、少しでも時間が短縮できるように、自分なりに試行錯誤の連続です。

また、会議や集合時間を意識して、遅れないようにすることも大切ですよね?

『この作業には何分かかるから、会議が終わってからにしよう』

と考えることもできるようになります。

学校では誰かが教えてくれたり、遅れても大事には至らなかったりしますが、会社ではそうはいきません。

働く大人として、時間の管理は自己責任ですから、しっかり意識することが必要になってきます。

・目的と理由を考える。
~作業が目的にならないよう、先を見る目を養う~

仕事には、必ず目的があります。

でも、その目的を意識しながら作業している人は、どれぐらいいるでしょうか?

その目的に向かって、色々な作業をしていくのですが、作業のやり方を教わっているうちに、本来の目的を忘れてしまう人も多いです。

作業が目的になってしまうと、仕事の方向性が変わってしまったり、トラブルがあった時に、軌道修正がうまくできない、など、先に進めなくなってしまいます。

初めての仕事は特に、慣れた仕事でも、目的を頭の片隅においておくようにすると、うまくいくと思います。

そして、この作業は何の為だったかな?という疑問も考えてみると面白いですよ。

ただ教えられた通りにこなすのではなく、理由が理解できると、仕事が楽しくなります。

私がこれまで、27社で作った物たち…

アルミサッシの窓枠、炊飯器のコンピュータ基盤、ATMのお札を収納するBOX、携帯電話(ガラケー)のボタンの裏側、家庭用照明器具、マジックのインクの部分、一眼レフカメラの三脚を立てる為のビス穴…等々

あまり詳しくは説明できませんが、パッと思い出せた物だけで、どれほど世の中に出回っている事やら。

…と思うと、チョット嬉しくないですか?

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【次回予告】

【シリーズ・仕事が早くなるコツ】~経験者は語る、実践で勝ち取った身近でわかりやすい~『実録!仕事が早い人の一日』シリーズ全6回/第2回

です

        お楽しみに🎵 See You (*^-^*)

【実録!仕事が早い人の1日】シリーズ全6回/第1回

ミラーでできた高層ビルを見上げるイメージ写真

【シリーズ・仕事が早くなるコツ】
~経験者は語る、実践で勝ち取った身近でわかりやすい方法~

第1回  朝の準備と最初の動き方
第2回  休憩の取り方と仕事の進め方
第3回  昼食後は誰でも眠い
第4回  定時で帰るための動き方
第5回  チャイムと同時に帰れる人の準備
第6回  『仕事が早い人の1日』まとめ


かつて、私が派遣で働き始めた頃、派遣社員は残業をするのが当たり前の世の中。
私は、正社員を定時で帰らせる為に派遣社員がいる、という認識でした。
派遣は毎日2時間~4時間残業をしないと帰れない。
日付が変わるまで仕事をすることもありました。
確かにお給料は良かったんですが、まだ小さい子供もいる中で精神的にも辛くなってきて、どうしたら早く帰れるのかを常に考えるようになりました。

結果的に、今があるのは、この経験のおかげなんですが『誰かに早く教えてほしかった』というのが正直な気持ちです。
そこで今回は、『実録!仕事が早い人の一日』シリーズ・第1回目を皆さんにお届けします。


第1回

『朝の準備と最初の動き方』

今日やることを考えながら、ラジオ体操をする


皆さんの会社では仕事の前に、ラジオ体操をしていますか?
製造工場では、必ずと言っていいほど毎朝、ラジオ体操をします。
子供のころから慣れ親しんでいるので、意識しなくても体が勝手に動きますね。
なので、この時間を使って、その日一日の予定や流れをイメージしているんです。

まずは、期限の近いものから


数ある仕事に優先順位をつけて、どう自分が動くか、を考えます。
この時に、まず最初にやらなくてはいけない仕事だけを決めています。
欲張って色々考えても、実際その通りにいかない事の方が多いですし、そもそも覚えきれません(笑)

段取りまで考えておく

そのかわりに、最初に決めた仕事の段取り(準備)までを考えておきます。
例えば、上司に相談したいことがあった時。
忙しい上司を引き留める為には、頭の中で相談内容の整理をしておかなければなりません。
相談する準備ですよね?準備ができていれば、すぐに動く事ができます。

体操や朝礼が終わったら、『すぐに取り掛かれる状態』ということです。

参考 【仕事の効率化】~定時で帰るための勝負所~『仕事の優先順位とは?』


『仕事に取り掛かる前に考えること』

どうすれば【効率が良くて自分が楽】か、を考える


では仕事を始めましょう!
ゲームに例えるなら、ファーストミッションです。
これをクリアしたら、次のステージに進めます(笑)

先の事まで考えて動く 

先の事、というのは、次の自分の行動のことです。
『次にこの材料を手に取る時は、向きがこっちの方が、楽。』とか、
『数メートル先で手袋をして作業する時は、そこへ歩きながら、手袋をする』
という程度のことです。
きっと数秒の違いなのかもしれませんが、これを意識することで、ちりも積もるんです(笑)

数秒の違いが大きな差になる

『1秒を節約できないと、1分、1時間は節約できない』

ということですね。お金と一緒です。


『手を止めて考える勇気』

さて、最初の仕事に目途がついたら、次に何をするかを考えながら動きます。
今度は次のミッションに取り掛かるイメージトレーニングです。
そう、朝のラジオ体操の時のように。
考えている余裕が無い時は、最後までやってから考えます。
考えも無しに動くと、あとで困ったり、後悔することになるので、
私はぴたっと止まって考えます(笑)

失敗してやり直す時間の方がもったいない

『1秒を節約してるのに、止まって考えるの?』
という声が聞こえてきそうですが…(笑)
思い付きで動いて、後悔したことありませんか?
『しまった~!』という場面。
結果、2度手間になってしまうのであれば、動かずに考えた方が早いこともあります。
これが、私のこだわる『速さ、ではなく早さ』なのです。

長くても2~3分で答えを出す

もし、考えても答えが出ないときには、上司に相談することもあります。

何度も、これを繰り返しているうちに、優先順位が分かってきます。

参考 【仕事が早くなるコツ】~走っても早くはならない~『仕事が早くなりたい人、この指と~まれ!その②』


『同時にできることはする By味噌汁理論』

手待ち時間を見逃さない

仕事の内容によっては、どうしても手待ちになる事があります。
どのぐらいの時間を持て余すのか、が分かれば、
その間にできる別の作業も同時進行します。

本来の仕事を忘れない工夫

そちらに意識が集中してしまって、本来の仕事が放置にならないよう、
その場でできることを探します。
もしくは、忘れてしまわないように保険を掛けることも
あります。

自分に気づかせる仕掛けを作る

朝起きる時のアラームと一緒ですね。
保険のかけ方は様々ですが、例えば、
いつもはすぐに消してしまうランプを点けたままにしておく、とか、
PCのアラームをセットするとか、『必ず気づく仕掛け』を自分で、自分に仕掛けておきます。

参考 【仕事が早くなるコツ】~味噌汁理論で学ぶマルチタスクの基本~『味噌汁理論ってな~に?』

・・・さて今回はここまで!続きは次回に!

【次回予告】

【シリーズ・仕事が早くなるコツ】~経験者は語る、実践で勝ち取った身近でわかりやすい~『実録!仕事が早い人の一日』シリーズ全6回/第2回

『休憩の取り方と仕事の進め方』です。

お楽しみに🎵 See You (*^-^*)

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【シリーズ・仕事の基本】~よくある帰りたい病、ちょっと意外な解決策~『今日はもうあきらめて帰りましょう!』

ボトルラベルにWORK AT HOMEと書いてある写真

家の床でこちらを見ている茶色の子猫の写真
cat at home

【帰りたい病とは?】

せっかく会社に来たのに、帰りたくなってしまうことってありませんか?
私、よくあるんです(笑)
体調が悪いわけでも、用事があるわけでもないのに、『う~帰りたい』
会社にいれば、お給料がもらえますし、有給が減ることも無いんですが、『う~帰りたい』
帰りたい病の発作です。

【みなさんは無いですか?】


どんな時に発作がでてしまうのか・・・私の場合、それは決まってヒマな時です。
仕事が立て込んでて、忙しいなら、そんなことを考えるヒマも無いのでしょう。
今、会社で、定時まで時間を無駄に潰すくらいなら、家に帰って掃除や、本当にやりたいことに時間を使いたい。
時間が、すごくもったいない気持ちになってしまうんです。
それが、会社の拘束時間、だから、嫌なら独立すれば?とか、そんなに生き急がなくても・・・と言われたりもします。

【効率化の弊害?】

さんざん、仕事を早くする為に、とか効率化のブログを書いておいて・・・なんですが(笑)
仕事が早いのは、会社にとって良い事なのですが、時間を持て余してしまうほどの仕事量だと、困ります。
かといって、のんびり・ゆっくりやってみた事もあるんですが、そういう時に限ってミスをしたり、駆け込みの仕事が入って、あたふたする、なんてことも。
普段、効率化を考えながら仕事を進めていることで、あえてゆっくり進めると、集中力が続かず、思考が脱線しがちです。
『はっ』と気づくと、最初とは全然違うことに一生懸命になっていたり(笑)

ベッドカバーの上であくびをする茶色の猫の写真

【タニシ流解決策】

そんな時、タニシはどうやって解決しているのか?


まず、本当に仕事が無いのか、思い返します。
忘れているだけじゃないのか?探せば出てくるんじゃないか?と。

それでも、出てこない時は、とりあえず掃除を始めます。
『手が空いたら掃除』と、師匠に耳にタコができるほど言われていましたので。

ですが、それも気乗りしない時ってありますよね?
もう、そういう時はあきらめて帰りましょう(笑)
その日は帰って、明日からまた改めて頑張れば良いのです。

【それでも帰れない時】

夕方から会議があったり、帰りたくても帰れない理由がある時。


困りますよね?
そういう時、私は工場内の見回りに出かけます。
今は、品質管理の仕事上、試験だけでなく、製造現場の生の声を聴いたり、作業者とコミュニケーションを図るため、現場にお邪魔したりします。
元々は、製造する側が長かったので、見ているだけでワクワクする時もありますし、逆に危険だな、と気づき注意することもあります。
あまり、細かいことには口を出さず、『今日も寒いけど、頑張ってね~』ぐらいにしておきます。
じゃないと、嫌われちゃいますからね(笑)

テーブルに並んだ鉢植えとクッキーとコーヒー。カップには謝罪の言葉がかいてある写真

【まとめ】


毎日が充実して、やりがいのある日ばかりではないと思います。
体調が悪くなくても、精神的に疲れていたり、気乗りしない日があって当然。
そこを見ないふりして、頑張りすぎてしまうと、ある日突然パンクしてしまう気がします。

いかに今日を乗り越えて、明日に繋いでいくかの方が大事だと、私は思います。
たまには『今日は明日の為にチャージしよう』と割り切って、
自分を甘やかす日があっても良いのではないかな?というご提案でした。

【次回予告】

仕事が早くなるコツ】
~経験者は語る、実践で勝ち取った身近でわかりやすい~
実録!シリーズ・仕事が早い人の一日/第1回』です

お楽しみに🎵 See You (*^-^*)

働くママを応援したいタニシ11号

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【シリーズ・仕事が早くなるコツ】~定時で帰るための勝負所~『仕事の優先順位とは?』

青い背景に開いた本と時計とメガネの写真

仕事をしていると、「あれもこれもやらなきゃ!」とパニックになりそうな時がありませんか?
仕事を早く終わらせるために、絶対に忘れてはならないことがあります。

それは、「仕事の優先順位」です。

定時で帰ることを『勝ち』とするならば、思い付きや好みで動くのではなく、しっかり考えて行動することで、「定時で帰れる人」になれるかどうかの勝敗が決まると言っても過言ではありません。


白い木目調のデスクでノートパソコンを操作し、画面の端に黄色い付箋を貼る人の俯瞰写真

まずは「やること」の見える化から

目の前にやるべき仕事がいくつかある時、どれから手をつければ良いか迷いますよね。
まずは、今抱えている仕事を箇条書きにして、一覧にしてみましょう。

(例)

  • 材料の在庫確認
  • 上司に頼まれた書類の提出
  • 来週の有給届の提出
  • メールの確認
  • 企画の代替え案の作成
  • 備品の発注

あなたなら、どの仕事から始めますか?

仕事には、明確な優先順位があります。基本の3ステップは以下の通りです。

  1. 緊急性の高いもの
    (例:異常品の試験や、お客様への即時報告など)
  2. 期限が近いもの
    (例:出荷が迫っている、ラインが止まってしまうなど)
  3. 期限が決まっていないもの
    (例:明日やっても支障がない、後回しにできるもの)
白とピンクのアナログ目覚まし時計とカレンダーの写真

さらに「内容」で順位をつけるコツ

上の3ステップに加えて、さらに内容で優先順位を絞り込むと、仕事はもっとスムーズに回り出します。

  1. 上司から指示されたこと
    まずは最優先ですが、忙しい時は「期限」を聞いてみましょう。後回しにできるなら上司の了解を得るのもテクニックです。
  2. 自分にしかできないこと
    代わりがいない仕事は、優先してやっておかないと期限切れに直結します。
  3. 誰でもできること
    間に合いそうにない時は、早めに他の人に「応援」を依頼しましょう。
  4. 自分がやりたいこと
    改善提案など、時間ができたらやろうと思っている「プラスアルファ」の仕事です。
夕日を背に受けて走る車の写真

~動き出す前の「数分」が勝敗を分ける~

この順番が狂ってしまうと、仕事も会社もうまく回らなくなってしまいます。
仕事に取り掛かる前に、「今日はどの順番でやっていこうか?」と数分考える時間を持つ。

その小さな習慣が、あなたを「定時で帰れる勝ち組」へと導いてくれるのです。

私だったら…

さきほど挙げた仕事の一覧を、順番に並べてみますね。

1,上司に頼まれた書類の提出期限を聞く

緊急であれば、真っ先に仕上げて提出します。

もし余裕があれば、3~4番目にまわします。

2,材料の在庫確認

これから必要な材料であれば、早めに確認しておかないと、

不足していた場合にラインが止まってしまいます。

3,メールの確認

差出人と、タイトルを確認して、緊急性があればすぐに対応します。

4,来週の有給届の提出

これは、自分にしかできない事ですので、忘れてしまったら取返しがつきません。

5,備品の発注

締め切り時間に間に合わない場合などは、他の人にお願いするかもしれません。

6,企画の代替え案の作成

思考力を必要とする仕事は、他の事が気になっていては進みません。

やるべきことを終えて、すっきりしてから取り掛かります。

 

もちろん、期限が迫っている場合は順番が前後すると思いますが、

それも加味したうえでの優先順位です。

期限ぎりぎりまで、先延ばしにならないよう、効率化していきましょう。

この仕事にかかる時間は何分?

さらに、とりかかる仕事に必要な時間も把握しておく必要があります。

この時間までに終わらせよう、という目標を持つ事で、

効率化を考えたり、改善提案につながったりします。

『仕事が早くなりたい人この指と~まれ!その①』

『仕事が早くなりたい人この指と~まれ!その②』

なども参考にしてくださいね🐚

タニシが定時に帰るために使うコツとは

私は『ついでに』という言葉が好きです。

なるべく、その時その場で、できることをこなします。

もちろん、時間を考えての事ですが。

あと何分余裕があるかを考えて、その時間内にできることを選択します。

そうすることで、後で楽だったり、段取りの時間が短縮できます。

そのためには、時間を常に意識すること。

腕時計が必須アイテムとなります。

新入社員教育の時には、まず『時計を見る習慣をつけてください』と指導します。

自分の作業にかかる時間の把握と、残り時間との勝負ですね。

ゲーム感覚で良いと思います。

失敗しても、次にその経験を生かせば良いわけですから。

『今回はGAME OVER。次こそクリアしてやる!』

の、精神でいきましょう(笑)


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【次回予告】

【今日はもう、あきらめて帰りましょう】

~仕事が早すぎる私の、ちょっと意外な解決策~   です。

お楽しみに🎵
 
See You (*^-^*)

【シリーズ・仕事の基本】~掃除が面倒じゃなくなるコツ~『5Sとは?』

職場を掃除しているような人形の写真

5Sとは、製造現場で推奨される、標語のようなモノですが、
わかりやすく、的確に行動できるので、家庭内でもぜひ使ってみてください。


会社によっては、整理・整頓・だけの『2S』だったり、『習慣』も取り入れて、『5プラス1S』というの所もあるようです。


整理

いらない物は、すぐに処分する

分別のゴミ箱を設置、分別を分かりやすくする

必要最低限数の把握

整頓

使ったら、元の場所に返す

定位置管理の徹底 住所表示

異物混入や機械故障の原因になる為、 行方不明な物を放置しない、見つかるまで探す。

清掃

清掃がしやすい配置 床に、直置きしない

当番制、定期的な清掃をする時間・手順を決める。

清潔

綺麗な状態を維持する

身だしなみチェック 清掃がしやすい環境作り

反、割れ窓理論(下記参照)

掃除は見栄えだけでなく、 安全性や、機械のメンテナンスも兼ねている。

後回しにせず、すぐやる習慣づけ。

割れ窓理論とは?
たくさん並んでいる窓ガラスのうち、1枚が割られた状態(小さな無秩序)で放置(無関心)しておくと、 それに誘発され、次第に他の窓も割られるなど、犯罪がエスカレートしていく様子。 小さな無秩序を放置することなく、すぐに直すことで、モラルの低下防止になり、 ルール無視の抑制にもなる。という防犯理論のこと。
白い布の上にレモンが並んでいる写真

掃除の目的

掃除の目的といえば、皆さんは何を想像するでしょう?

『見栄え』、特に来客の時には丁寧に掃除をするのではないでしょうか?

ウチの長男が小さい頃、私が掃除を始めると、 目をキラキラさせて、『誰かくるの?』と聞いてきたくらいです(笑)

きっと、ほとんどの方が、見た目が綺麗になるように掃除をすると思います。

もちろん、それも大事なんですが、他にもっと大切な目的があることをご存じですか?

身の安全

つまずいて転んだり、物を踏んでケガをしない為。

アレルギー対策でハウスダストや花粉の除去。

これらは、完全に身を守る為ですよね?

メンテナンス

品質の保持(劣化を防ぐ)

通常時の把握と異常の早期発見

本来の目的がわかったところで、あなたの身の回りに当てはめてみてくださいね。

通り道にモノが落ちていないか、ガスコンロの回りを掃除しながら、ガスの元栓周辺に異常がないか、など。

ソファーの上で自分の体を掃除する舌を出す猫の写真

タニシの掃除コンプレックス

私も掃除が苦手でした

子供のころは、母から耳にタコができるほど、言われたものです。

『掃除をしなさい!』

『片づけなさい!』

『片づけないなら捨てちゃうよ!』

そう毎日言われても、実のところ、やり方がわからない。(笑)

これは、『何から手をつけて良いのかわからない』にも通じると思います。

実家を出て、自分で部屋を借りるようになって初めて

『掃除』というものに本気で向き合った気がします。

まぁ、母に甘えていたんでしょうね(笑)


綺麗に整理整頓されているガスコンロまわりの写真

整理・整頓(片づけの基本)

~目的からさかのぼってみる~

1、理想の状態と今の状態を比較してみる

→なんと、すぐには使わないものが散乱しているかを実感。(笑)

片づける前の写真を撮っておくと、ビフォー&アフターがわかり、モチベアップ!

2、その、すぐには使わないものは、次にいつ使うかを考える。

→『いつか…』は却下します(笑)

具体的な予定が無いものは、処分候補にします。

3、使う予定や頻度から、しまう場所(住所)を決める

→シンデレラフィットを目指さない。

いつのまにか掃除から脱線してしまって戻れなくなる(笑)

4、その場所(住所)を忘れない為に、表札をつける

→テプラや、マスキングテープなどの有効活用。


清掃・清潔(掃除の基本)

~目の前のモノからはじめる~

1、まずは、いらないモノを『ゴミ』と認識する所から

→意外と認識できていない人が多い。『これは何?』から始めましょ。

2、その『ゴミ』の行先を考える(分別)

→地域指定の捨て方や、フリマアプリ、回収業者など 。

3、家出しているモノは家に帰す。

→捜索願いが出ていませんか?うちは、耳かきや爪切りがよく家出します(笑)

4、上から順番に掃除をする。

→重力には勝てないので、二度手間防止。外なら風上からスタート。


躾・習慣(維持する為の基本)

~後回しにしない~

1、気づいたら、ついでにやる

→これが最も効率の良い方法だと思う

2、定期的に掃除の日を決める

→ずるずると、散らかっていくのを防ぐ

3、なるべく短時間で終わらせる

→他のことに影響するほど時間をかけると、次回のモチベーションが下がる

赤ちゃんと犬が絨毯の上に腹ばいになっている写真

家族がいる場合

4、家族で掃除のやり方・分担・方針を決めておく

→いきなり言われても、お互いストレスになるだけなので、前もって話し合っておく

5、ゲーム化する

→家族で速さを競争してみたり、ミッションを点数化して、月ごとの点数を争う。ご褒美あり?

レストランの床をお掃除ロボットが綺麗にしている写真

まとめ

~掃除への向き合い方~義務から「自分のため」へ

全人類にアンケートを取ったら、きっと『面倒くさいこと No1』になるのではないかと思う掃除。

他人が嫌がる掃除を、お仕事にされている方々には本当に頭が下がりますし、

身近に清掃員さんがいればぜひ感謝を伝えたいものです。

最近では店舗などでも、お掃除ロボットが普及してきましたが、

異常の発見やメンテナンスなど、人にしかできない事が、まだまだたくさんあります。

一方で、子供が小さかったり、子供のような大人(笑)がいる家庭では、

完璧を求めすぎず、

『多少、散らかってても目をつぶる』

という開き直りが、必要な時もあるでしょう。

我が家もそうでした(笑)

ずっと散らかったままでは健康や安全に心配はありますが、無理をしすぎるのも禁物です。

大切なのは、掃除に対する「心の持ち方」です。

私は毎朝、誰に指示されたわけでもなく、自分の職場を掃除しています。

もしこれが、

「誰もやらないから仕方なくやってあげている」

という意識なら、 不平不満が出て、つい見返りを求めてしまうでしょう。

でも、

「自分のために掃除をする」

と考えれば、恩着せがましい気持ちにはなりません。

むしろ自分が清々しく、気持ちよく仕事に入れるようになります。

そうなんです!こだわりの強かったタニシが、

「綺麗にしたい自分&居心地の良い綺麗な場所にいたい自分」

を見つけたんです!!

掃除は義務ではなく、 私自身のこだわりを形にする大切な習慣となりました。

〘次回予告〙

【仕事の効率化】~定時で帰るための勝負所~
仕事の優先順位とは?』です

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【シリーズ・タニシの生き方】『タニシの生い立ち』~15歳で社会に出た私が学んだ「子どもの居場所」の大切さ~

海深く沈んでいるような巻貝の写真

この文章は、15歳で社会に出た私の生い立ちの話です。
家庭の中で居場所がないと感じていた子どもが、どのようにして働く力と生きる力を身につけていったのかを書いています。


最期の会話

中学3年の冬、就職先から採用通知が届いたその日、入院中だった父と、

ずっと付き添っていた母に報告に行った。

父は胃潰瘍だと言われ手術を受けたが、その後、昼食後に倒れてからは

入退院を繰り返していた。

『店をもつ気でやれよ』という父に、『うん』と言ったのが、父との最期の会話になった。

翌月には昏睡状態になり、1か月もしないうちに亡くなったのだ。

雪に覆われながらも開花する木

他人の家

兄弟の中でも一番の父親っ子だった私は、小学校へ上がるまでは父の膝の上を独占していた。

5歳の時、妹がお腹の中にいた母のつわりがひどかった。

バス通園だった幼稚園の近くに住む、父の妹の家へ2か月ほど預けられた。

伯母の家には小6・小3・3歳の仲の良い姉妹がいて、たくさん遊んでくれた。

しかし、朝5時に起きて家族でジョギングしたり、おもちゃは小さな部品ひとつ残らず片づけたり(こっちが普通なのか?)

とにかく環境が違いすぎて、戸惑っていた。


初日の晩、お風呂上りに牛乳を飲んでいたら、伯母に

『他人の家の冷蔵庫を勝手に開けちゃダメじゃないの!!』

と叱責され、泣いた。

『さっき、自分の家だと思ってねって言ってたのに・・・』 

子供ながらに考えていることは、大人には伝わらないものらしい。

伯母は躾として言ってくれたのだろうが、5歳児にはショックでしかなかった。

それでも家に帰れる訳ではなく、大人しく良い子にしていよう、と決意する。

伯母は精神的に不安定だったのか、謎の宗教の集まりに、よく末っ子とともに連れていかれた。

それが原因なのか、母はこの伯母を毛嫌いしていて、この後も交流があったのは、父と私だけ。

家を新築した伯母一家がそこへ越してからは、私も遊びに行くことはなくなった。

無事、妹が生まれて

不思議なことに、ここから半年くらいの記憶がない。

家に帰れる、とか、妹との初対面など、イベントはたくさんあったハズなのに、記憶に残っていない。謎だ。

この後、妹をオモチャにしている兄と姉の姿はよく覚えているが。

我が家は、縦社会な上に、悪ふざけが過ぎる。それでも年下は黙って我慢するしかなかった。

のちに母の葬儀後のお酒の席で、

『みんな世間は冷たいって言うけど、ウチより全然優しいよ!だって世間の人は私の事ブサイクって言わないもん!!』

と、衝撃の発言をした妹。

お互いに子を持つ親になって、少しは発言権を得たのか。

私はそれでも、何も言えずにいたけれど・・・。


妹の誕生から2年、弟が生まれた

その頃には、父が家に帰ってこない日が増え、いない事が普通になっていた。

ある日の夜中、一人で寝ていた私は、誰かの気配で目を覚ます。

父が私の布団に入り込んでいて、私が目を覚ましたのに気づくと、

『お母さん、赤ちゃん生まれたんだって。一緒に見に行く?』

と、言った。 何て他人事・・・

どこにいても父は父

家に帰ってこなくなった父の、住んでいる家を探した。

当時7歳。ヒントは黒電話の横にある、母が書いた住所録。

色んな飲み屋の名前があったが、一軒だけ聞いた事のない店で、住所が隣の駅だ。

直感的に、ここだと思った。

次の日曜日、友達を誘い、探検の旅にでた。

住所を見ながらウロウロすること約3時間。

やっと同じ名前の看板を見つけた。

店の前で、濡れた髪を乾かそうとクルクル回っているおばさんがいた。

『楽しそうだ。この人に聞いてみよう。』

父の名を告げると、その人は中に向かって『マスターちょっと来て!』と叫んだ。

父が驚いて立っていた。

それからは母に内緒でよく遊びに行っていた。

赤ちゃんを膝に乗せ絵本を読み聞かせる父親

父は、昼間は小さな会社を経営、夜は知らない女性と居酒屋を営んでいた。

その女性の優しさに甘えることができた私は、学校帰りに一駅分歩いたり、日曜日にはバスで遊びに行っていた。

今考えれば、愛する男性の子供を邪険にできる訳がない。。。向こうも困っていたと思う。

姉の自転車を勝手に借りて行った時には、父から連絡が行き、ずいぶん母と姉に叱られた。

7つ上の姉はもうすでに女として、父が許せなかったんだろう。ずっと母の味方だった。

ことある毎に嫌味を言い、空気はいつもピリピリしていた。

家の中に私の居場所は無かった。

父はそれを知ってか知らずか、夏休みに、私と妹を連れてキャンプや旅行に出かけ、

毎年、正月には、おもちゃ屋で好きな物を買ってくれる『あしながおじさん』のような存在だった。

それも母には面白くないようで、

『たまに顔出して優しくしてれば良いんだから、得だよね~』

と後で言っていた。確かに子供を騙すのは簡単だ。

父との亀裂、反抗期の始まり

そんな父と私の関係も、小学校を卒業する頃から私の反抗期で終わりを迎える。

(あ!姉も反抗期だったのかもしれない。。。)

父びいきの私には、実家に居場所がなく、家出をしたり、夜遅くまで溜まり場で騒いで補導されたり・・・

いつもは母が迎えに来て、無言で歩いて帰るのが定番だったが、

ある日、初めて迎えに来た父は、感情を抑えることができず、私に手を挙げた。

その時、私は『終わった~』と感じた。

『自分は好き勝手してるのに??』 と思った私は素直に謝る気にもならない。

体の痛みよりも、心が壊れていくのを感じていた。

夕暮れの土手を自転車を押して歩く女の子

父と末っ子

その事件をきっかけに引っ越しの話しが進み、中学を転校することに。

父は、新居で『これを機に、家に帰ろうと思う・・・』と言っていた。

内心、『何を今さら。でも、これで少しは私の居場所ができるかも』と期待していたが、

実現する前に、父は病魔に襲われてしまった。


8歳下の弟が、生まれて初めて父とお風呂に入ったとき、その背中脇には約30cmの手術痕があった。

弟に『すごいだろ~』と自慢していたのを見て『アホか』と思ったのだが、

その日は嬉しそうにしている弟の為に、黙って自分の部屋に戻った。

別居はしていたものの、月に一度は生活費を持参していた父に、

弟は『また来てね~』と手を振るのが習慣だった。

慣れない父親との、唯一のスキンシップ。

まさか、その半年後に父の葬儀をする事になるとは・・・

この日、弟たちと昼食を食べた父が急に苦しみだし、床を転げまわって痛みに耐えていた。

『救急車を呼ぶな!兄貴を呼んでくれ!』

病院の近くに住む叔父を呼ぶように、母に指示していた姿が目に焼き付いている。。。

その後、父は入退院を繰り返していたようだ。

採用通知が届いたのは、その4か月後の出来事だった。

お経の罪深さ

お通夜で読経してもらっている時に気付いたのだが、お経には『亡くなった原因』を盛り込む?ようで、

その時初めて父が『胃がん』だったのだと知った。

どうやら知らされていなかったのは、私と、幼い妹・弟だけで、

父に告知をしていなかった事もあり、秘密にしていたようだ。

『もし知っていたら、もっとお見舞いに行ったのに。謝ることもできたのに。』

・・・ここでも疎外感を味わった時、もう誰とも話しができなくなってしまっていた。

思ったことが、言葉として出てこない。クラスメイトも、腫れ物に触るようになり、孤立した。

あいかわらず、家では誰とも口をきかず、ただ毎日息をしているだけだった。

『もうすぐ、こんな毎日から脱出できる。もう少しの我慢だ。』

と自分に言い聞かせながら、中学卒業の日を迎える。

天国かと思っていた就職が地獄だった件

4月3日・・・いよいよ入寮の日。

姉と、当時姉が付き合っていた彼の車で、荷物を運んでもらった。

父が亡くなってからの姉は優しく、私と友達をデイズニーランドに連れていってくれたりもした。

おそらく、彼氏が良い人だったんだろう。結婚するものと思っていたが、別れてしまったようだ。

大きなお世話だが、とても残念だ。


寮に着き、荷物を部屋に運ぶのも手伝ってくれた。


4人部屋の室長、26歳の先輩に姉が挨拶をしてくれた。

さすが社会人!と感心していたが。。。

姉を見送るとき、『あの人、信じらんないくらい、化粧濃いね。』と先輩をディスっていた。

『そぉ?』と返すと、

『そんなことも分からないの??バカじゃないの??』

・・・そんな人だった事を、改めて思い出した。

🐚『仕事を辞めたくなった時』に続く🐚


それでもタニシは生きていく

大切な父を失い、 15歳から社会へ飛び込んだ私。

けれど、この“地獄のスタート”が 私の人生のタフさを作った。

仕事は甘くなかった。 人間関係は厳しかった。

だけど、そこで私は “空気を読む力”を磨き、

“どこでも働ける適応力”を手に入れ、 仕事のスピードも自然と身についた。

27社を経験することになるなんて この時は想像もしなかったけれど、 このときの苦労は、 確実に私の土台になっている。

父がくれた最後の言葉。

『店をもつ気でやれよ』

あの言葉は、 “自分の人生は自分で切り拓け” というメッセージだったのかもしれない。

父がどう生き、 どう私を愛していたのかは、 今でも正解が分からない。

でも、父がいたから 私は産まれたし、 父が背負っていた弱さも強さも ぜんぶ私の中に受け継がれている気がする。

私の人生は簡単じゃなかったし、 楽でもなかった。

だけど、いま私は 子どもを育て、 孫を見守り、 そしてこうして文章を書き、 誰かの心に寄り添えるようになっている。

悲しい出来事があったとしても、 人はちゃんと前に進める。

あの頃の私に言ってあげたい。

――大丈夫だよ。

――あなたはちゃんと生き抜ける。

――そして、幸せになる。

今の私は、紛れもなく あの頃の私が “必死で生きてきた結果”だ。

だから胸を張って言える。

私は強い。

でもそれよりもっと、優しい。

―――そして、今日も生きていく。


このお話しは、

『仕事を辞めたくなった時・・・』

         ・・・に続きます。